過酷な法事。

先日、89歳の父が法事に行きました。

また、友人のご主人の実家でも法事がありました。

来月は母の実家での法事があります。

 

父も実家へ行くのに電車を乗り換えそして駅まで車で迎えに来ていただいて往復2時間半。

法要、会食で2時間。

父には1日仕事です。

 母も来月の法事を足が悪いので断っているのですが、折角だから是非来てと言われ。

だから、足が悪いから無理だ!って言ってるのに。

 

友人のご主人の実家では何度も百貨店へ足を運びお土産、食事の手配と1ヶ月前から準備を始め終った時には体調を崩してしまいました。

 

正直、この風習を疑問に思います。

そんなことを言ったらバチがあたるかもしれませんが。

 

なぜ、ここまでしなければならないのでしょうか。

皆さん心から本当に参加したくて手を合わせたくて故人を偲びたくて参加しているんでしょうか?

 

気持ちがあれば常日頃からその人の事を思い偲び手を合わせる事をするのではないでしょうか。

その時だけみんな揃っていかにも故人を思ってというのはいかがなものかなと。

 

日本古来の風習を大切にとは勿論思います。

でも、自分の身体を酷使してまでしなければならないのでしょうか。

 

故人の為ではなく、家の為、自分の為にしているとしか思えません。

私はちゃんと家を守ったよ!と言う自己満足とアピール。

 

個々の考え方なので勿論そうしたい、そうしなければというのを否定するつもりはありません。むしろ素晴らしいと思います。

でも、こうやって家を守っていってもらわないと!っていう考えを押し付けられても。

 

何事も押し付けでさせては絶対続かないし、意味がない。

 

何十年前と今では良い意味でも悪い意味でも色々な事、考え方が変化しています。

それに合わせ変わる人、変わらない人。

どちらもあって。

どっちが正しい、間違いでもなく。

それぞれがこういった状況を理解し、認め合わなければならないと思います。

 

先日、ロボがお経を読み、説法を説いているのをテレビで見ました。

宗派をボタンで選ぶとその宗派のお経を読んでくれるそうです。

近い将来そうなっていくのかもしれませんね。

 

何百年と受け継がれた家は大変だと思いますが是非とも守っていただきたいと切に思います。

 

何百年と代々受け継がれてきた家でもないのに

 

○○家を守る

○○家の恥とならないように

○○家を継ぐ

何のためにしているんだろうって。

守るって?

恥って?

家って?

心身共に酷使してまでしなければならないのでしょうか。

 

自分自身を大切に

しなければならない呪文から解放されましょう。